Jan 14, 2020

「嵐が丘」エミリー・ブロンテ Book review




Wuthering Heights /   Emily Brontë

読むのに忍耐力のいるお話でした。
途中途中、愛の話なのか懐疑的になり読めば読むほど根の深い憎悪と
陰湿で救いようのないヒースクリフの復讐劇の嵐が繰り広げられ・・。
世代を超えて巻き添えを食らう心身共への復讐は聞いたことがありません。
どうしたらこう言う人を助けてあげられるのか想像しました・・が、ダメでした。
キャシーのように振る舞う女の人は時代や階級は問わずいつの時代も存在するものなのだなと思う。舞台になっているヨークシャーの荒野ですが、写真を見る限り綺麗な田園風景なんですが、ワザリング・ハイツを想像すると文字通りの荒れ狂った沼地と茶色い泥の風景になってします・・(wutheringは強い風が吹き荒れると言う意味)多分沼地ではないのでしょうけど、、私は意外と曇った灰色の暗〜いイギリスの田園風景が好きです。
こう言うお話は何度か読むと毎度感じ方が違ったりするんですよね。なのでまた読んでみようと思います。ちなみに姉のシャーロット・ブロンテのジェーン・エアを読んだのは19才位の頃だったので読み直さないとです。

この嵐が丘が書かれたのは1847年ビクトリア朝時代の大英帝国。
エミリーが29才の頃Ellis Bellと言う名義で書いた小説。当時は女性作家への偏見があったため男性風な名前で発表したそうです。(しかし評価は悪かったようです・・)
牧師の父と姉のマリア、エリザベス、シャーロット、兄ブランウェル、そしてエミリー、妹アンと共に牧師館にて育つ。母はガンで38才の時に死去のためその後は母の姉に育てられた。姉たちも短命だったようです。

あの頃は今では想像出来ないような汚水の垂れ流しや汚物の破棄で衛生環境は非常に悪く病気(コレラ・チフス・結核と言うおなじみの感染症)が蔓延していた。時代劇のドラマシリーズを見ると必ず出てくる感染症。天然痘やはしかなども出てきますが、何100万単位で猛威を振るうため一つの村の人口がすっかりなくなるくらい壊滅的だったのですね。ワクチンなんてない時代ですから・・

ほとんど学校にも行かず家庭教育で育ったエミリーには友達も恋人もいなかった。
内気で頑固者のエミリーは家族といる時間、それとハワースの荒野をとても愛したそうです。大自然の中で詩を書いたり物語を作ったりして空想の世界のなかで過ごすのが好きだったのでしょうか。あまり他人と話すことがない生活の中でこの壮絶な物語を構築されていったんですね。自然のパワーって本当に強いと思います。特に当時の人々の生活には欠かせない風景出会ったはずで。


その時代の中産階級の女性は仕事を持つことは少なく結婚をすることが生きて行く上で重要な意味であった時代。けれどその中にも結婚が出来ずに年を重ねる女性もたくさん居たようです。今の時代のように、独身楽ちん〜なんて言えない時代です。
そんな中、エミリーにも唯一つくことができる仕事があったようです。それこそ家庭教師でした。姉シャーロットはすでに教師として家族を支える稼ぎ手になっていたことなどから父の勧めで家庭教師になるために寄宿学校に行くことになったのでした。しかし、内気な性格のエミリーは学校に馴染めない、ハワースが恋しい、他にも理由があるようですが耐え難い環境だったようです。結局ハワースに帰って父親の世話と家事をしていたそうです。エミリーが亡くなるまで。

ある日、偶然シャーロットによって発見されたエミリーのノート。そこには姉が読んだこともない感動ものの素晴らしい詩が書かれていたそうです。その後詩集を自費出版したのですが残念ながら売れなかったようです。ですが、そんな経緯でハワースの自然の中で生み出されたこの物語はイギリスを代表する小説になりました。


残念ながらエミリーはこの一年後に、お葬式に参加した際に引いてしまった風邪により結核で30才で亡くなってしまいました。



写真は本とパンに塗って食べるマーマイトと言うスプレッド。

今夜はKate Bush のwuthering heightsを聞いて眠りましょう。

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